NIMRA 1997年の研究会

  • 総会 (1997.1.22)
  • 2月例会:水野 一男 氏「都市型環境共生ビル GREEN FELLOW の紹介」(1997.2.18)
  • 3月例会:山口 直彦 氏「中小企業の海外進出事例とリサイクル事業の紹介」(1997.3.13)
  • 4月例会:藤本 尚子 氏「戦後民主主義のパラダイムの崩壊と新思想としての自然」(1997.4.17)
  • 5月例会:高林 英行 氏「最近のコジェネレーションの動向」(1997.5.14)
  • 6月例会:座談会「環境問題を会員で考える」(1997.6.25)
  • 7月例会:松尾 光伸 氏「オーバロジー(楕円学)とアートセラピー」(1997.7.16)
  • 公開講座:延藤 安弘 氏「名古屋宝物さがしのまちづくり−子ども・環境・感動」(1997.9.6)
  • 緑蔭講座:笹原 司朗 氏「株式会社 黒壁 の活動について」(1997.10.4)
  • 11月例会:古池 嘉和 氏「瀬戸、多治見、常滑、万古焼きを結ぶ焼物ネットワークの挑戦」(1997.11.20)
  • 12月例会:情報交換市(1997.12.10)
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    1997年総会

    日 時:1月22日 19:00〜21:00
    場 所:リビエール(栄)
    内 容:
     1996年決算、1997年人事・予算・事業計画について承認を得た。
     会長:丸山 茂樹

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    1997年2月例会

    日 時:2月18日 19:00〜21:00
    場 所:名古屋都市センター 3階会議室
    テーマ:「都市型環境共生ビル GREEN FELLOW の紹介」
    講 師:水野 一男 氏(木文化研究所 代表)
    内 容:
     都市でエコロジーを実残する、日本初の環境共生型ビルが今年の夏、名古屋に完成します。今回は、そのプロジュースを担当された、本文化研究所代表の水野一男氏にご講演いただきました。
     水野氏には、郡市の緑環境の保全を推進する立場から、都市近郊林の重要性と、消失しつつある雑木林の実態、公園樹・街路樹の役割、山村の森林保全のあり方など、自然と市民が共生するためにどんな観点が必要かをわかりやすくご教示いただくとともに、環境悪化への強い懸念と警告もされました。途中から、GREEN FELLOWビルのオーナーで為るエコソルーションズネットワーク代表の牧村好貢(よしつぐ)氏もビルの竣工模型まで持参で駆けつけてくださいました。
     このピルは、バウビオロギー(建築生物学)という新Lい概念に基づいて計画されていること、リサイクル部材採用、屋根や壁面の緑化、エコインキュベーション、都市型農業アーバンパーマカルチャー、ソーラーパネルのひさし、小鳥の集まるビオトープ、地階の雨水利用槽など夢いっぱいのアイデアビルの話に、大いに盛り上がりました。牧村氏は、京都から名古屋に活動の本拠を移して、本格的に環境ビジネスを展開しようと意気込んでおられました。同氏によれぼ、この地域は産業・文化・経済いずれをとっても日本のセンター足りうるとの判断で自宅もこのビルに移すことにした由。名古屋に在住していると、あまりそのあたりも意識しないことが多く、我々自身にとっても新しい発見になりました。
     NIMRAでも、都市と環境調査部会が今期からスタートしますが、今回のテーマはまさしく都市における環境問題を具体的に考えるための大きなヒントになったと思います。GREEN FELLOWビル完成の暁には、NIMRAとして見学会を行いたいと思います。席を替えての2000年会(2次会)も大勢が参加し、環境問題から世界情勢まで例のごとく盛り上がったことはいうまでもありません。
    (文責 SM)

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    1997年3月例会

    日 時:3月13日 19:00〜21:00
    場 所:名古屋都市センター 3階会議室
    テーマ:「中小企業の海外進出事例とリサイクル事業の紹介」
    講 師:山口 直彦 氏(フルハシ工業株式会社 副社長)
    内 容:
     名古屋市でチップ製造からリサイクル新燃料を製造するフルハシ工業(株)が、タイにパレット工場を進出させ、軌道に乗せるまでの経緯と、国内で行っているリサイクル事業について、副社長の山口直彦氏にご講演を頂きました。

    ・タイへパレット工場進出
     1989年にチップ材の原材料を輸入するため、東南アジアで植林を考え、当初ベトナムにと考え、何回も渡航し検討したが、ピザ取得の関係等で行き帰りにどうしてもタイに宿泊しなければならなく、タイに進出した方が効率的であると判断した。1991年PAC AND PAL. LTD.を創立。首都パンコックから約180kmリゾート地バタヤ近<の工業団地にパレット工場を建設した。操業する為に許可に次ぐ許可で約21の許可を取得しなければならず、次から次へと難問が発生。中小企業が全て、自前で行うもどかしさを感じつつ、ようや<生産活動を開始した。生産開始当初は、男性労働者ガ多数だったのが、現在では殆ど、女性、それも家庭を持つ主婦に替わってしまった。概して東南アジアでは、男性よりも女性の方が鋤き者であることが判った。去年から利益を計上することが出来、タイから日本へ送金をと思った所、これが、なかなか日本へ送金することが難しく、利益は現地での再投資に振り向ける事にし、タイで生産されたパレットが世界で利用きれ日本に戻って来たときに、日本で利益を生むことに期待している。
     タイでの生活は、情報が極端に少なく、日経新聞が毎日シンガポールから送られて来て、これで情報を仕入れている。日本の習慣は一切通用しない。例えば、メイドを雇う場合、金品をメイドの目に見えるところに置かない、置いてあれば全て無くなっている。こういった事は、日常茶飯事である。
     今後の問題はタイに駐在している日本人スタッフ5人、毎月タイに出張してフォローをしているが、交代要員を確保し、帰国後の事も考えないといけない。中小企業の我社としては、今後、発展させていくには、システム作りを早急にする必要がある。

    ・国内のリサイクル事業について
     木質系は年間約36万トンをチップ、燃料にリサイクルし、少しでも環境破壊をしなくても済むように企業の使命として行っている。今後は、リサイクルインフラを進めて、有効的にリサイクルを押し進めていけるように考えて行きたい。産廃のリサイクル品のマーケットが少ない事が、一番の問題であり、今後この分野のマーケットを徹底的に行い、リサイクルインフラを進めていけば、有望な分野であると認識している。

     NIMRAには「都市と環境調査会」がありますが、今回、講演の後半に、山□さんが進めているリサイクル事業の中に、勉強する題材があったように思います。
    (文責 SO)

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    1997年4月例会

    日 時:4月17日 19:00〜21:00
    場 所:名古屋都市センター 3階会議室
    テーマ:「戦後民主主義のパラダイムの崩壊と新思想としての自然」
    講 師:藤本 尚子 氏(小説家)
    内 容:
    (例会予告)
     ニーチェ、バタイユ、老子、そして何故か戸塚ヨットスクールまで交え、思うとこうを話きせて頂き、新文明のニつの表情、つまりインターネット・ハイテクと古代論あるいはオ力ルティズムをふくむ「復帰志向」について、行く末をみなさまと共に考えさせて頂ければと考えます。現実の経済活動に音痴なわたしが、みなさまにお話するなど、実に実におこがましい話です。その点を百も承知の上で、わたしの考えを知って頂き、それが間違っているかどうか、みなさまに検証して頂けたらと願っています。
    (例会報告)
     今回はとても中身の多いお話でした。講師の『NIMRA』に対する感想と、当日お話したかった事について、ご本人の考えを掲載いたします。
     1次会、2次会(2000年会)も、私(藤本氏)が世話人をしている読書会ととても似ていました。にも係わらず、丸山さん達の方がずっと活気があるように思いました。つまりそこには、現実社会の『勝者』、或いは『勝者たらんとする人々』が集まっていたのであって、そこが私達の会と本質的に違うところです。現実に負け、不満を持ち、少しばかり文責を書く事でコンプレックスを反転させている人種、そういう人達を仲間にしてきたのだと、一抹の敗北感を交え痛感いたしました。
     新しい理念を理解する人間はものすごく少ないというのが実感です。状況を切り開くツールとして、今どういうコンセプトか有効かという問題意識を私は持っているのですが、『過去のイデオロギーのどの類型に属する話なのか?』的な捉え方しかしてもらえないと、いっもガックリします。つまり私が20年位前に言っていた同じことを今になって皆さんが仰るのです。それはもう陳腐化して無効なのに。むしろ20年前に切り捨てた考えの中に、現在有効なもの、あるいはそのヒントが含まれているので、再検討すべさだとそういう趣旨の話が全て、昔々の「保守反動」約次元でしか理解されないアホらしさを痛感しています。モダニズムの達成された要素と、達成されなかった要素をキチンと分類して、脱モダニズムの通路を模索するというスタンスが必要だと言うのが本筋ですが、まあ、こう言う事は話すより書いたほうが・・・・
     (活発な議論というより、会員の混ぜ返しが強烈で、面食らったのでは・・・と言うことに対して)そうなんです、強烈だったのではなく、余りにも私の趣旨から掛け離れていましたので、へええええ・・そんな次元でしか聞いて頂けなかったのかとは思いましたが、元々逆説性を込め、本音を薄めた話し方でもあったので、むしろ『健全ぶり』に大変安堵いたしました。どうしても挑戦的なものの言い方になってしまうのです、払の場合。多分敵を作るのか好きなのでしょう。媚びたり、迎合したり、シャンシャンと運ぶのは退屈だという、奇妙な逆サービス精神もあるのかも知れません。とにかく知的プライドのようなものがものを言わせているケースか多く、身体性を伴った素朴な実感を出発点として哲学するという事は滅多にあるものじゃないと、そんな事も言い聞かせている次第です。

    講師略歴
     大阪外大ドイツ語科卒、1982年文芸誌「海燕」より処女作
     新聞ミニコラムなどの執筆活動に入る。
     インターネット上にMAHORAを主宰。
     つい最近、「マングース族の決闘」と言う小説を出版。
    (文責 SM)

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    1997年5月例会

    日 時:5月14日 19:00〜21:00
    場 所:栄ガスビル 12階 東邦ガス(株)会議室
    テーマ:「最近のコジェネレーションの動向」
    講 師:高林 英行 氏(東邦ガス株式会社都市産業営業部 産業用Gr.マネージャー)
    内 容:
     エネルギー業界の規制緩和が徐々に進むなかで、最近特に注目を浴びているのが「コージェネレーション」である。最近では、トヨタ自動車も「コージェネレーション」に力を入れ始めており、これから大いに注目を浴びる事になるだろう。高林氏は「コージェネレーション」の企画から建設を担当するセクションのマネジャーとして活躍されており、「コージェネレーションシステム」の新技術の紹介、中部地区における「コージェネレーション導入計画」、今後の動向について紹介して頂さました。
     コジェネレーション(以下コジェネと略す)の需要は近年著し<延びてきており、東邦ガス管内では、コジェネのガス消費量は1991年ガら1996年の5年間で3倍に増えています。これは、東邦ガス全体のガス供給量の約1割に当たります。政府の長期エネルギー需要見通しにおいても、2010年まてにコジェネの普及率を3.6倍にするビジョンが盛り込まれているとの事です。近年このようにコジェネが普及してきた背景としては、CO2排出規制の問題、省エネルギーの数値日標の制度化、エスルギーの多次元化、システムの信頼性の向上、熱/電可変型コジェネ(熱と電気の出力比率を変えることができるもの)の普及等様々な原因があげられます。また、ヨーロッパにおいては、コジェネがかなり普及しており、オランダでは、総発電量の40%、ドイツでは16%、イタリアでは21%をコジェネで賄っている。今後、エネルギー問題、環境問題がクローズアップされてくる中で、コジェネに対する関心はさらに高まるでしょう。
     質疑応答においては、将来のエネルギー施策、CO2 抑制策の話題に発展し、「企業がCO2を排出した分、植林を実施すればよい」とか、「原子力発電は、将来的には必要だ」といった意見が飛び出し、活発な意見交換が行われました。
    (文責 NM)

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    1997年6月例会

    日 時:6月25日 19:00〜21:00
    場 所:豊田ビル4階 神戸製鋼所サロン
    テーマ:座談会「環境問題を会員で考える」
    内 容:
     今回は、始めての試みとして、「都市と環境調査部会」が進行役となり出席会員の皆様から環境について思いを語ってもらいました。身近なごみ問題から、地球規模の問題まで幅広い意見の中からピックアップしてみました。
    ・環境と言う言葉すら変化してきている。以前の環境といえば、環境衛生などに見られるように一番最終の処理の所で使われたようだが、今は、物を作るところから環境という言葉を使っていて、概念が変わってきています。
    ・経済学での環境は、人間の生存に関する総てのモノ。地球上に住んでいる総てのモノと言われています。
    ・『今後10年間位の間に産廃処理技術が発達して、ゴミのリサイクルが大きなシステムとなり、処理施設の問題は解決できるのではないか、処理場がなくなると言われているが、そんなに心配はしていない』といった楽観論がある一方、『今後10年を経ずして処理施設の不足がもたらす弊害、ゴミの輸出、不法投棄、と言った問題が大さくクローズアップされ、法規制が強化され、変わらざるを得ない』と言った悲観論。
    ・小さいときからゴミ問題に対する考え方を教育することが大切である。と言った教育論、この情報化時代、ゴミ問題等、環境についてもっと多くの情報公開をしていいのではと言った、様々な意見でした。
     いずれにしても、環境問題は、人間がこの地球上で生活して行く限り、ついて廻る問題であり、一人一人の行動がこれからの地球環境の良し悪しを決めていく事を胸に留め、出席者全員が環境について考えました。最後に、「都市と環境調査部会」のテーマとなっている「名古屋大都市圏における環境問題」に、今回の意見も参考にしながら生かしていきたいと考えます。
    (文責 SO)

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    1997年7月例会

    日 時:7月16日 19:00〜21:00
    場 所:毎日ビル5階 会議室
    テーマ:「オーバロジー(楕円学)とアートセラピー」
    講 師:松尾 光伸 氏(彫刻家)
    内 容:
     名古屋市国際会議場や三重県総合文化センターの野外彫刻作品で有名で、三重県菰野町を拠点こ美術工芸連絡協議会や三重アートカレッジを主宰されている彫刻家の松尾光伸氏に、創造原理の中心である楕円の幾何学との出会いと、その展開にこだわった彫刻作品の数々の紹介、最近力を入れているという芸術の癒し効果の医療への応用研究、自ら企画され9月に四日市市で開催される「パブリックアートフォーラム」の紹介なと、多彩な話題をビデオやスライド、不思議な動きをするヒーリングアートの試作品等を交えて熱く語って頂きました。
     印象に残った言葉として、『楕円の大ききと形で、全ての立体が表現てきる』とか、ハーバード大学の客員芸術家であった経験から『欧米では芸術家に自己のモチベーションで自由な創造をするように、パトロンとしてお金を出すが、日本では依頼者の意向に測った作品を委嘱されるという違いがある』とか、それに関連して『アーチィストとデザイナーの差は技能てはな<、自己動機の問題た』等々。更に『人間の総合的な能力のピークは60才』と言うことで、アートを通じた高齢パワーの有効活用とか、『医者には衣食住を通じた健康的ライフスタイルを提案する能力はないので、ヘルスコーディネーターと言った職業が必要』等がありました。
     NIMRAの部会活動にも示唆に富んだ内容の話が多<、2次会も講師を囲んて閉店まで続きました。

    講師略歴
     1943年熊本県生まれ、東京芸術大学卒業後、柳宗理氏に師事、文化庁研修員、ハーバード大学客員芸術家としてコルビジェの視覚芸術センターで制作を行う。
     1984年より三重県菰野町尾高創房村に住む。神戸現代彫刻展、ヘンリームーア大賞展等に出展し受賞されています。
    (文責 KA)

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    1997年公開講座

    日 時:9月6日 14:00〜16:00
    場 所:愛知県芸術文化センター12階 アートスペースA
    テーマ:「名古屋宝物さがしのまちづくり−子ども・環境・感動」
    講 師:延藤 安弘 氏(千葉大学教授)
    内 容:
     講演は、名古屋の宝もの探しから始まりました。名古屋で見つけた3つの宝物とは・・
    (1) まず木曽三川。都市近郊に優れて豊かな緑と水の流れがある。
    (2) つぎに小学校の4分の3が公園に隣接している。1街区以内に公園のある小学校は90%もある。
    (3) そして末端の住民に子供に対する柔らかな眼差しが多い事。
    言い変えれば名古屋市は、豊かな自然に隣接していて、コミュニティの核である公園が多く、人々は子供に配慮している。さてこの3つをどう考えればよいか?別の素材で表現すると、とうなるのか?
     そして講師の言う『幻燈』が始まりました。スヌーピーで幕を開けた画面は、ミュラーが描くゆったりとした牧歌的な都市近郊の田園都市風景が、20年の歳月を経て高速道路が躍動する近代的な都市に変貌していく絵本の展開です。そこには豊かな緑や、子供の遊ぶ空間が食いつぶされ、便利な近代都市が建設されていく様が劇的に描かれています。
     次に役所の都市計画事業として造られた公園が、市民参加によって子供の為の場所に造り変えられいく様が描かれています。「ねこじゃらし公園」(東京/世田谷区)です。そしてコーポラティブハウスの事例が2件。京都の「ユーコート」。限られたスペースでも樹木と草花を取り入れる事は可能で、緑を取り入れた住宅は年を経るにつれて成長するという事を見せてくれました。最後に熊本の「Mポート」。集まって造りあげる楽しさ、そして建った後もライフステージの変化に伴って、楽しみながら造り続けられるものだと言っています。
     講師は結びとして、これからの街づ<りの基本として《3点》を挙げられました。
    1. ひとり一人の呟をを大切にしていきたい。
    2. 楽しさを旨とする。
    3. トラブルをエネルギーに変える。
     非常にわかりやすい、説得力に富んた講演でした。私事ながら、コーポラティフハウスを造り住んだ身には、講師の一言一言が実体験として伝わってきました。講演の後は講師を囲んての懇談会。講師との話の切れ目を見つけられないまま、ようやく散会となったのは、22時過ぎでした。(参加64名)

    延藤安弘(えんどう やすひろ)氏プロフィール
     レンゲ畑のひろがる大阪に1940年生まれる。
     北海道大学工学部建築工学科卒業、京都大学大学院修了。
     熊本大学・名城大学教授を経て、1997年から千葉大字教授。
     京都のコーポラティブ住宅ユーコート、熊本のMポート、神戸の真野地区まちづくり、世田谷まちづくり等全国各地の住民主体の住まい・まちづくりにかかわっている。
     「コミュニティを生成するハウジングに関する一連の研究」で1990年日本建築学会賞受賞。「もやい住宅・Mポート」で1995年日本建築学会作品選奨受賞。
    主な著書:
    「こんな家にすみたいナ−絵本にみる住宅と都市」「まちづくり読本−こんな町にすみたいナ」「これからの集合住宅づくり」(以上 晶文社)、「集まって住むことは楽しいナ−住宅で都市をつくる」(鹿島出版会)、「ハウジングは鍋もののように−集住体デザイン」(丸善)

    講演会チラシ
    (文責 KF)

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    1997年緑蔭講座

    開催日:10月6日(土)7日(日)
    行き先:黒壁スクエア(滋賀県長浜市)
    テーマ:「株式会社 黒壁 の活動について」
    講 師:笹原 司朗 氏(株式会社 黒壁 専務取締役)
    内 容:
     10月4〜5日と、例年より2、3週間遅い緑陰講座でした。(参加者は10名)午後3時に黒壁1号舘に全員が集合し、講義が始まりました.冒頭に笹原氏(黒壁の専務)から「とても2時間では喋りきれない.質問をして頂きそれに答える形で進めましょう」と切り出され、NIMRAメンバーから、活発な質問が出ました。以下、要点をご報告致します。
    ・今の黒壁1号館の建物(元第百三十銀行/長浜支店、築後100年)が、不動産屋に売却され、取り壊されようとしていた。これを保存しようという運動が「黒壁」の発端である。当時の長浜市の中心商店街は財政的に厳しかったが、建物を買い取る為、1千万円を出資できる法人の社長と言う条件で、今の「(株)黒壁」が設立された。しかし「(株)黒壁」が何を行うか、ハッキリとした考えがあった訳では無かった。
    ・長浜は我が国の高度経済成長に乗り遅れ、商店街も「大資本」に漬されていた。だから大資本に漬されない事をやろう。歴史(古い町並み)と文化(曳山祭りに代表される町衆の文化の興隆)と国際性(世界に通用するガラス事業)を武器にすれば、カネの力が及ぶまい・・・を「(株)黒壁」のコンセプトとした。
    ・黒壁が何故ガラスを始めたか?社長がヨーロッパ旅行の途上、ガラス工房前の黒い人だかりを見て、「ガラスがええのんと違うか!」と言ったのが、ガラスとの関わりの発端である。長浜にガラスの伝統技術があった訳ではない。マスコミが取り上げたり、ガラスブームに乗ったことが幸いした。
    ・北国街道沿いの500mには約200軒の古い家が残っている。景観協定を結んで、200万円を限度に補助金を出している。道路改修は市と県が半々を、アーケードは、県と市と地元が均等に負担し、自然と街のイメージができた。北国街道をガラス街道にしようとしている。
    ・街づ<りのネットワーク展開している。江刺市(岩手県)への出資はその手始めであるが、黒壁から言いだした訳ではない。昔栄えた古い建物が温存し、人材が揃っているのが条件だ。黒壁が世界に通用するには、日本の中にガラスネットワークを作り、その中でグレードを高め、文化と結び付けていきたい。
    ・黒壁は第3セクターと言われているが、商法上は株式会社で補助金は受けていない。黒壁は「まちづ<り会社」である。事業を展開する中で、生活を満たし、心豊かな文化を築き、地域を豊かにして行きたい。
     笹原専務との懇談は、場所を変えての夕食の場でも、一層活発に展開していきました。『ガラス鑑賞館で私の心を見てほしい』との一言に、翌日改めて全員で「黒壁ガラス鑑賞 館」の展示物を丁寧に鑑賞しました。“黒壁”は行ってみないと‥ワカラナイ。

    黒壁の紹介
     「通行人4人に犬1匹」、88年某日曜日の午後の一時間、長浜市の商店市の一角、黒壁の前を往来した通行量です。明治33年、百三十銀行として建てられ、黒い壁を持つ事から「黒壁銀行」と呼ばれていましたが、古くなり解体の計画が出てきました。市民の間から黒壁を再生したいと言う声が上り、市と一緒になって第三セクター「(株)黒壁」を発足させ、“黒壁”の買い取り保存を実行させました。そして9年、硝子文化の追求とその事業化による国内初の硝子の本場の創生を目指します。現在あくまで硝子にこだわる直営館9館と黒壁まちづくりに参画する14館の計23館で、年間140万人の来場者を迎えています。今後は硝子とまちづくりのノウハウを生かし、海外7都市への活動展開、国内まちづくりネットワークの展開に繋げます。
    (文責 KF)

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    1997年11月例会

    日 時:11月20日 19:00〜21:00
    場 所:豊田ビル4階 神戸製鋼所サロン
    テーマ:「瀬戸、多治見、常滑、万古焼きを結ぶ焼物ネットワークの挑戦」
    講 師:古池 嘉和 氏(都市研究所スペーシア 企画室長)
    内 容:
     瀬戸、多治見、常滑、万古焼のネットワークによっての地域活性化の可能性を探ろうという試みを『スペーシア』が事務局になって企画・推進し、今年セントラルバークでイべントを実施いたしました。結構好評に終わり、来年度に向け自治体レベルでの協議会ができるよう、予算要求をしているそうてす。しかし、この地方の焼ものは実用品が多<、統計的には売上高は横這いで落ち込みが激しいのは輪入向けのノベルティのみである事が指摘されたり、文化のレベルが低いのは、人材がいない事など、焼もの産業にもこの地方の特色が出ていることが、明白になりました.
     大量に生産する実用品の時代が、国際的な大競争時代に入り日本では難しくなってきた昨今、この地方で求められる焼ものの職人芸とは一体何かを考えるに当たり、高齢者と焼もの産業のマッチンクがこれから面白いと思いました。又、中郡新国際空港、JRセントラルタワーズなどに4地域の焼もの御土産コーナーなどの開設も必要と感じました。参加者の中からは、ハイテクと焼ものの融合商品こそ当地域に必要との、意見も出されました。
     普段、閉鎖貞的な産業てあった焼もの産業が連携するだけでも大変なことてあったが、異業種交流によって、新たな商材開発が出来そうな議論が出来た事は、有意義だったと思いました。
    (文責 SM)

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    1997年12月例会

    日 時:12月10日 19:00〜21:00
    場 所:栄ガスビル 12階 東邦ガス(株)会議室
    内 容:情報交換市・忘年会
     会員同志が最近の業界情報を持ち寄り、情報交換を行うと伴に、親睦を図った。

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