日 時:1月23日(水)19:00〜21:00
場 所:リビエール(栄)
内 容:
2018年の活動報告と決算、2019年の事業計画・予算・役員人事を決定した。
会長:鈴木 信好
日 時:3月20日(木)18:30〜20:30
場 所:櫻文化サロン(名駅永田ビル8階)
講 師: 服部 重敬 氏(NPO法人 名古屋レール・アーカイブス 理事長)
テーマ:「NPO 法人設立他 名古屋駅前の変遷など」
内 容
名古屋鉄道、ボストン美術館等に勤務後、NPO法人 名古屋レール・アーカイブスを設立された講師から、その経緯と名古屋駅前の変遷などについて、お話し頂きました。
@NPO法人名古屋レールアーカイブスの活動
NPO法人名古屋レールアーカイブスは、個人的に収集された書籍、資料、写真、図面で歴史的な価値があるものが散逸しないように整理保存する為に発足し、寄贈された写真、資料などを、会員が定期的に集まりデジタル化している。
発足15年の現在、会員36名、悩みは会員の高齢化と資金不足。運営費は年100万円 で、この内家賃83万円が掛かっている。支援会員もあるが、会員の休日ボランティアだけでは作業がはかどらない。若手不足と会員の鉄道に対する好み、考え方の違いがあるのも法人運営の悩みである。
A名古屋駅の今昔
明治新政府の東西幹線鉄道計画は、当初、東海道筋には水運ある中仙道筋を調査しつつ工事を開始したが、難工事であった為に途中から東海道筋の工事も開始した。中仙道線の建設工事資材運搬の為に長浜ー大垣間と路線と武豊からの半田線を決定し、金山で熱田台地を堀切で横断する過程で中仙道幹線を名古屋経由に変更するとともに東西幹線を東海道筋に変更した。中央線が名古屋を半周する事になったのは東海道線の副路として京都方面へ直進にするためであった。
東西幹線の完成によって列車本数が増大するにつれて旧名古屋駅(名鉄百貨店〜メルサの辺り)が手狭になり北側に旅客用駅舎を移転すると共に貨物駅を笹島と稲沢へ移設した。旧駅跡地が名鉄と近鉄の共同駅として利用され、現在のミッドランドスクエア他も名古屋市役所に払い下げた後に其々民間三者に払い下げられて、現在の名古屋駅前が形作られた。
(担当幹事所感)
任意団体であるNIMRAの運営と対比してみれば、NPO法人運営の難しさや、後継者をどの様に今後して行くのかなどなど、法人登記して運営して行くことの難しさを垣間見た。また、今回のお話で、我々の知らざる名古屋駅前の発展の歴史記録の重要性についても改めて認識する良い時間となった。
(文責:SM)
日 時:5月23日(木)18:30〜21:00
場 所:櫻文化サロン(名駅永田ビル8階)
講 師:野田 展葛 氏(NPO法人 なごや歴史まちづくりの会 理事長)
テーマ:「NPOなごや歴史まちづくりの会」の運営と活動状況
内 容
5月例会では名古屋の市民レベルでまちづくりに歴史的視点から活躍している表記NPOについて、設立の背景、NPO組織の運営課題、活動内容等についてお話して頂きました。
講師の野田理事長は、名古屋市職員OBで、主として都市計画分野の仕事に携わり、定年前後には名古屋都市整備公社(現・名古屋まちづくり公社)に出向し、東区橦木町地区の「文化の道」や覚王山の曜輝荘などの歴史的遺産の整備保存を担当。2年ほど前にNPOを立ち上げ、市民レベルでの歴史的意義を勘案しながらまちづくりを進めていこうと活動さているとのこと。
名古屋市のまちづくりの課題を担当者がSpin-out(外に弾き出すこと)して出来た点で、当会NIMRAとルーツを同じにしており、その原点が国際化か歴史的視点という違いはあっても、同じ名古屋という土俵で同じようなまちづくり分野で活動する両者の今後の発展を期待したい。
(文責:KH)
日 時:7月24日(水)18:30〜20:30
場 所:櫻文化サロン(名駅永田ビル8階)
講 師:高木伸彦 氏(NIMRA会員)
テーマ:「名古屋とやきもの 〜世界にはばたいた陶磁器産業の盛衰と現在(いま)〜」
内 容
名古屋の周辺には、1000年以上前からやきものの生産拠点として栄えてきた瀬戸、美濃、常滑などの産地があり、明治期には、近代陶磁器産業のルーツとなる日本陶器が名古屋で誕生しています。
7月例会では、なぜ名古屋とその周辺がやきものの産地として栄えてきたのか? なぜ世界有数の陶磁器産業が名古屋で成立し発展したのか? 産地の現在(いま)は? など名古屋圏とやきものの関わりについて、取り上げます。
開催日:9月15日(土)16日(日)
行き先:木曽平沢伝統的建造物群、大芝高原、信州大学見晴ファーム、養命酒駒ヶ根工場
講師:塩尻市都市計画課建築係 石井 健郎氏
木曽平沢町並み保存会 副会長 伊藤 猛氏
旅程:
9月14日(土) 8:00 名古屋発
11:00-15:00木曽平沢集落見学・昼食懇談
16:00 〜大芝荘着(大芝高原散策+温泉)
9月15日(日) 9:00 大芝荘発
9:30~13:00信州大学農学部農場見学、見晴ファームブドウ狩り+昼食
14:00~16:00 養命酒駒ケ根工場製造工程見学
18:00 名古屋着
内容
1. 平沢地区の概要
@地区の概要
名称 :塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区
所在地:長野県塩尻市木曾平沢字東町・・・・・・
面積 :約12.5ヘクタール
伝統的建造物等指定数:建築物201件 工作物20件 環境物件 16件
A伝建事業の経緯
H15〜16年度 伝統的建造物保存地区保存対策調査
H17年度 楢川村 塩尻市と合併
H18年度 「重要伝統的建造物郡保存地区」選定
H19年度〜 重伝建防災計画調査 修理・修景事業開始
H24〜27年度 防災施設整備事業
H28年度 重伝建選定10周年記念式典・記念講演会
H19年度〜29年度 木曽平沢の修理修景事業 修理31件 修景20件
2. 講師の説明
石井氏は、以前NIMRAが奈良井宿を訪問した時の講師であり、今回は二回目。
伊藤氏は、漆工芸の専門家で長野オリンピックのメダルの意匠の提案・製作者。
@地区の由来
奈良井は宿場町であるが、平沢は漆器のまち。奈良井は南北朝期には集落が形成され宿場町としては400年の歴史があるが、平沢が漆器製造の集落となったのは江戸初期から。平沢で漆器生産が始まった理由は、漆塗りの下地に不可欠の砥の粉に用いる良質な粘土が取れることによる。
A漆器業
中平沢は漆器の「塗り」だけに特化している。木地や漆そのものは外部から取り寄せている。平沢の漆器は耐久性のある良質な砥の粉があるので「大物」が塗れる。ここの職人が全国の文化財修復事業に携わっている。各店はカーテンで閉ざしているように見えるが、漆器は紫外線に弱く、日光を遮るため。
昔から平沢の漆器は出かけていって売る「出売り」が多かった。今も店売りではなく漆器の製造・卸を主体としている。最近では漆器の「塗り」の領域を家具調度や建材に広げ、素材としての漆塗りを斬新なデザインとともに販路を国外に広げている。漆器組合が漆芸学院を設立しで後継者を育成している。
B通りと建屋の構造
平沢の最盛期は昭和40年代。各戸の出入り口は道にぴったり接するのではなく、アガモチと称する台形のセットバックを開けて接している。
修理事業は、居住者が建物の模様替えをしたいと申請した時に補助率80%で、外から見える部分は修景事業として補助率60%で行っている。
電柱は移設や地下埋設化は行っていない。重伝建ではいつの時代の街並みを保存するのかということが重要であるが、平沢では明治終わりから昭和の景観を保存することになっている。だから、電柱は木柱にしたいのだが・・・・・。
中山道の西側にもう一本通りがある(今西通り)これは、明治の終わりにつくられた。この通りには中山道沿いの本家から分家した人たちが住んでいる。奈良井は分家が暮らす余地がなく外に出るしかなかった。
漆器店ばかりが並んでいるのではなく、違う業の店が混在している。一斉に建物が作られたのではない。平均的な間口は3間くらい。
典型的な漆器店の作りは、通りに面して店、その奥に居住部分、その奥に塗り蔵と深い奥行きになっている。居住部分には中庭がある。塗り蔵は湿気を嫌うので土蔵作りになっている。明治以後一時、大谷石を使った塗り蔵が流行ったが、湿気がこもることが分かって塗り蔵にはつかえず今は、倉庫となっている。塗り蔵は二階建てで一階は下塗り、二階では仕上げを行う。
C街並み保存までの経過
一つの集落に漆器業者が集まっていたのは平沢だけだった。すでに昭和53年に重伝建指定を受けていた奈良井宿で平成13年に下水道敷設後の舗装復旧時に国交省からの働きかけがあった。平沢の漆器業の凋落傾向は続いており、何かしなければという意識はあった。当時の楢川村は重伝建の説明パンフレットを全戸に配布し、平沢地区の婦人部に働きかけ見学会や説明集会を行ったが、そのかいあって漆器組合も動いた。漆器業が低落していたとは言え、まだ余力が残っていたのが幸いした。
H15〜16年度 伝統的建造物保存地区保存対策調査
H17年度 楢川村 塩尻市と合併
H18年度「重要伝統的建造物郡保存地区」選定
H19年度〜 重伝建防災計画調査 修理・修景事業開始
という経過を経て今日に至っている。
平成17年当時の市町村合併は対等合併とは名ばかりでほとんどが吸収合併だったが、楢川村には塩尻市にはない「奈良井」や「平沢」があって存在感を示すことができた。
(文責:KF)
平沢地区の街並み保存(塩尻市Webページ)
平沢地区の街並み保存(塩尻市観光協会Webページ)
日 時:10月24日(木)18:30〜20:30
場 所:櫻文化サロン(名駅永田ビル8階)
講 師:荒井 和樹 氏(NPO法人 全国こども福祉センター 理事長)
テーマ:「偏る支援と選別される子ども・若者」
内 容
世の中には、様々な事情で親と一緒に暮らすことのできない子どもが多数います。その多くは、児童養護施設や里親などの社会的養護の下で暮らしていますが、子どもたちにとっては不幸な出来事が生じてからの対応であり、本来は、事態が深刻になる前に対処しなければならなかったものです。一方、福祉や支援が届かないところで暮らしている子どもや若者も大勢います。皆それぞれの悩みを抱えており、仲間を求めて繁華街で時を過ごす子どもたちも多くいます。彼らの中には、以前は社会的養護の下にいたが、意思疎通での不満や窮屈さのために自ら施設を離れてしまった子どもがいます。一方、何とかしたいと思いつつも、自力では福祉の窓口にたどり着けないという実情もあります。なぜなら、彼らが当然に持つ羞恥心や支援機関側の情報発信不足がこれを阻んでいるからです。こうして行き場を失った彼らは、ネットによるつながりの方に流れていってしまいます。誰かが手を差し伸べなければ、例えば女性の場合、ネットで知り合った男性の家に入り込んでしまうという実態があります。従って、更なる虐待や、あるいは性産業の被害者となるようなトラブルの前に一刻も早く彼らと出会い繋がりを持ち救い出さなければなりません。
荒井氏は、児童養護施設職員としての経験からこうした活動の必要性を強く感じました。そこで、2012年に「NPO法人全国こども福祉センター」を設立し、「アウトリーチ」という手法でその活動を本格化させました。「アウトリーチ」は、一般的には「家庭訪問」の形式をとります。しかし、荒井氏の率いる「全国こども福祉センター」は、メンバーが着ぐるみを着用し、繁華街でそこにいる子どもたちや若者たちに直接声をかけるという従来にはない手法を採っています。現在は、名古屋駅太閤通口(西口)で、毎週土曜日の夜、活動を通じて仲間となった多くの大学生や高校生が、そこにいる子どもや若者たちに声をかけています。また、SNS上でも出会いも求める活動を続けています。これに参加するスタッフは約20名ですが、その内10名が10代で最年少は14歳の中学生です。専門家ではなくこうした子どもや若者たちが主体となり活動を進めることが大きな特長ですが、これは彼ら自身の成長にもつながっているとのことです。その他、繁華街に集まってくる若者らの生活の実態、児童養護施設の実情、自分に向き合い自分の持つ問題を発見し解決することの重要性等についてもお話がありました。
短い講演時間でしたが、従来の子どもや若者に対する福祉のあり方に一石を投じる活動と感じました。更に、講演後の質疑応答では、フードバンクの有効性、資金不足に対処するためのクラウドファンディングの有効性、東京で活動する女性支援団体の状況などについての質問がありました。最後に、荒井氏が本年10月25日に出版した書籍「子ども・若者が創るアウトリーチ」(出版 アイエス・エヌ梶jが紹介されました。持参された本が全て例会参加者により購入され感謝に堪えません。この本が広く知られ子どもと若者の幸せの増大につながることを祈念します。
(文責:NS)
日 時:12月18日(水)19:30〜21:00
場 所:櫻文化サロン(名駅永田ビル8階)
内 容:情報交換市
会員並びに一般参加者が最近の話題を持ち寄り、忘年会を兼ねて懇談しました。